積み上げられたもの
ふと、考える。
私が今ではあたりまえのようにやっているいろいろな釣り方。
例えば「デッドスロー」
私は釣を初めてまもないころの真冬に、この釣り方を教えてもらい実際釣れた。
雑誌などからの知識で、「冬はボトムでじっとしている」などと決めつけていた私は
かなり驚いたのは今でも覚えている。
10年前の琵琶湖は今より数倍人が多く、有名なポイントでは10m間隔に釣り人がいた。
そんな真冬の誰も釣れてない状況で、私1人がデッドスローで釣れたのだ。
しかもそいうことが何日もあった。
「こんな釣り方があるのか」と
「釣りというのは面白いし、奥が深いな~」とも思った。
よく釣から帰って、自分だけが釣れたことをいい気になり
「今日な、みんな俺のことプロやと思ったはずやで」
などといきって報告していた。
もちろん、きついおしかりを受けたが(笑)
でも、1人でやっていて、こういう釣り方に気づくかというと
絶対に今でも気付いていないだろう。
この釣りに何十年もかけてたどりついた方々の
積み上げられた経験のたまものであろう。
私は教師という仕事が長かったのでよく分かるが、
私が20年かけてようやく解ったことを生徒達に伝える。
確かに上部だけは理解してくれるのだが、本質は見抜けない生徒が多い。
まさしく釣りおける、今の私である。
しかし、それはあたりまえのことだ。
ただ、伝えないよりは伝えた方が
いずれより成長しくれるだろうと思い、すべてを伝えた。
過去の人が長年かけて積み上げられたものを、一瞬にして享受する。
そしてそれをまた積み上げたものを次の世代が一瞬にして享受する
それが歴史というものであろう。
話はやや大げさになってきたが、私が言いたいことは、
積み上げられたものを常に意識し、理解しようとし、
また、できれば自分でもさらに積み上げて、それを伝えていけたらと思うのです。